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2024東北復興学びプログラム研修【宮城】

今年度の研修は7月23日から25日の3日間で実施し、宮城県気仙沼市・南三陸町・石巻市を訪れました。
東日本大震災から13年が経ち、たくさんの苦しみや悲しみを経験した「まち」や「人」は震災の記憶や教訓を、そして生きることの大切さや素晴らしさを将来に伝えるために歩を進めていました。研修を通して、改めて「いのちを想い、今日を生きることの大切さ」を感じた3日間になりました。

〈1日目〉 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(気仙沼向洋高校 語り部)/震災講話

〔生徒の感想〕
〇もしかしたら朝見送った人がその日にはいなくなってしまうかもしれない、帰らぬ人となってしまうかもしれないという可能性が常に自分の近くにあるということを改めて感じた。伝承館でみた映像は、他人の私でも泣いてしまうほどのものだった。その苦しい思いを当事者の方は2倍も3倍も強く心に受けていて、とても悲しく、救えたかもしれないという後悔があっただろうと思った。
〇お話を伺った方々の話で共通していたことは、「今を生きていることの大切さ」「周りの人々を大切にする」「復興はそれぞれ違う」というメッセージだった。私はインターネットの時代だからこそ、それが使えなくなったときに「人」が大切になるという話がとても強く心に残った。

〈2日目〉 杉ノ下慰霊碑/リアスアーク美術館/南三陸民泊


〔生徒の感想〕
〇「昔の大津波には耐えた」たったそれだけの過去で「ここは大丈夫」と思ってしまう心理が恐いと思った。指定避難場所に津波が来たことに驚いた。自然は人間の想像をはるかに超えるものであり、防災のためにはあらゆる事態に備えられるよう準備をすることが大事だと思った。
〇リアスアーク美術館では、たくさんの写真や被災物を見て、津波がどれほど巨大だったか、どれだけ恐ろしかったのかということを感じた。また、「想定外」という言葉がよく使われていたが、本当に想定できなかったのか。もっと多くの人にこの悲惨な出来事を知ってほしいと思った。
〇漁師のご家庭で民泊をさせていただいた。海からのめぐみをもらっている人達にとっての津波は地獄だったと何度も言っていたが、それでも海と生きていて、たくましい姿だった。いくら強い津波があっても日常的に海を見たい、堤防が高く大きくなり、海が見えにくくなったことが残念だと言っていた。地域の人達とも仲が良く、人の温かさを知ることができた。海があり、山があり、おいしい食べ物や美しい景色がたくさんあったが、津波でそれが一瞬で壊され、少しずつ戻してきたと思うと目頭が熱くなった。人の温かさ、自然の恵みをたくさん感じた1泊になった。

〈3日目〉 旧防災対策庁舎・高野会館/大川小学校/みやぎ東日本大震災津波伝承館
 
   
〔生徒の感想〕
〇子どもは大人の言うことに従う。基本的にそう教えられ、当時も座って先生達を信じて待っていたのだと思う。大川小学校の校庭で目を閉じたとき、もし自分がそこにいたら…と想像し、目の裏にその当時の様子が浮かんできた。泣いて待つ低学年の子ども達、とても恐かったと思う。目頭が熱くなった。助けられた命を助からなかった命にしないように行動を決めておくのは、とても大切だと思った。まずは助かるための恐怖を学び、防災意識をもつことが大切だと思う。
〇高野会館で建物から出ないように指示をした人のように、誰か一人の少しの行動で生死を分けることになるということを改めて感じた。大川小学校でも、先生や生徒誰かの行動がもう少し変わっていたら、結果は違っていたのかもしれない。それは日頃からの防災意識が未来をつくるということだと思った。また、私は1パターンの避難訓練しかしたことがないことに気がついた。実際は死と隣り合わせの状況だから、私たちの避難訓練や防災に対しての意識を「他人事の防災」ではなく「自分事の防災」に向ける必要があると感じた。

〈事後指導〉
明治大学国際日本学部 岸ゼミのみなさんにご協力いただき、3日間の研修を振り返って一番心に響いた瞬間を「フォトボイス」を用いて表現することに挑戦しました。「写真」だけでは、あるいは「言葉」だけでは伝えきれない思いを、両者を組み合わせることによって他者に伝える手法を学びました。生徒達が作成したフォトボイスは文化祭で展示します。ぜひお越しください。

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